梓南朋の執筆旅(事前準備編)

梓南朋が旅に出る物語

普通ってなに?そんな疑問を持つあなたへ。

梓です。

 

今日は「普通」ってなんだろうという、

おいおいどうした真面目な話か?みたいな内容を話そうと思います。

なんでこのテーマ?と思った方、別に僕が病んでいるとかそういうことではないよ。

ただ、たまにこういうことを考えるもの、悪くはないと思うのです。

 

皆さんは「普通」っていうのにどんなイメージを持っていますか?

僕は、そうですね。一言で言えば、

つまらなそう。

皆と同じように行動して、周囲のやっていることに疑問を持たず、特別ではないこと。

あるいは、そういう人。

「普通」に対してこんなイメージを持っているのは、僕だけではないはず。

普通だねって言われたら、ちょっと嫌な気持ちになったことありませんか?

反対に変わってるねって言われたら、嫌がりながらもちょっと嬉しかったりしませんか?

少なくとも僕の中で、普通っていうのはつまらない人間と言われているのと同義でした。

僕はそんなんじゃない。

僕だけにしかできないこと、僕だけにしか考えられないことがあるはずだ。

だから僕は、普通じゃない。

ほんとについ最近まで、そう思っていたのですよ。

 

でもね。

最近は、「普通」の本質とは全然違うところにあるんじゃないかって思うようになったんです。

 

例えば。

道で転んだ人に、手を差し伸べられますか?

例えば。

電車でご老人や怪我をしている方に、席を譲れますか?

例えば。

雪道でスリップしている車を、一緒に押してあげられますか?

例えば。

人を殺してはいけないと、思いますか?

 

この問いに、皆さんはこう思ったかもしれません。

「そんなの普通じゃん」

そう、きっとこれが普通なのです。

そして迷わず実行できる人は、きっと強く、正しい人です。

でも、世の中にはそんな当たり前のことすらわからなくなったり、

躊躇したりする人もいます。

僕もそんな人間の一人です。

そんな弱い人間であるところの僕からすれば、

普通のことを普通にやる、ただそれだけで、大変な覚悟が必要になる。

 

まぁなにが言いたいかというとですね、「普通」として思い浮かべること、それは当たり前やつまらないことではなく、人々の理想の姿だ、ということなのです。

そりゃあ、理想は人それぞれ違います。よって普通も人それぞれ違います。

違うけど、それぞれにあるんです。

自分にとっての普通。

自分にとっての、理想の自分。

こうやって考えると、「普通」になるって途轍もなく難しいことだと思いませんか?

普通のことを普通にやるというのは、

自分の理想を実現するということなのですから。

 

もちろん、これは学術的な知識の全くない素人が書いていることですので、

そんな考え方もあるかーくらいに思って欲しいのですけれど。わら

 

だからね、

もし普通ってなに?

普通なんか嫌だー!

そう思っている人がいたら、少なくとも今の僕ならこう言います。

「すげぇ」

これも僕の勝手な予想ですが、たぶん。

宮沢賢治も普通になりたくて、なれなかった人だと思うんです。

雨ニモマケズ』の最後の一節。

 

そういうものに

わたしはなりたい

 

僕もいつか、そういうものに、成れたりするのでしょうかね。

難しそうー。わら